【ケンドーコバヤシさんのデビュー秘話:コンビ解散からピン芸人としての成功まで、笑いに懸けた軌跡を徹底解説】

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ケンドーコバヤシが芸人を志したきっかけ

ケンドーコバヤシさんが芸人を目指した理由は、非常にシンプルでした。「アホなことをやってお金をもらえる」「女の子にモテる」という動機で、1992年にNSC大阪校11期生として入学しました。当時は、適当にダラダラしていてもお金が儲かる、女の子が寄ってくるというイメージがあり、それが芸人を志す大きな理由となったのです。

初コンビ「松口VS小林」の結成と解散

NSC在学中、ケンコバさんはユウキロックさんと「松口VS小林」というコンビを結成しました。このコンビでは、プロレス技を取り入れたアンタッチャブルな芸風で人気を得ましたが、方向性の違いから1995年に解散しました。特に、「下着泥棒2人が殺し合いをする」という設定のコントが原因で、相方から「お前と組んでると売れる気がしない」と言われたことが解散の決定打となりました。

「モストデンジャラスコンビ」での活動と再びの解散

その後、同期の村越周司さんと「モストデンジャラスコンビ」を結成しました。このコンビでは、ボケ・ツッコミの区別がつかない無秩序なネタを展開し、心斎橋筋2丁目劇場ブームに乗って活躍しました。しかし、村越さんが芸人引退を希望したことにより、2000年3月に解散となりました。

ピン芸人としての再出発と成功

コンビ解散後、ケンコバさんはピン芸人として活動を開始しました。baseよしもとやうめだ花月を中心に活躍し、バッファロー吾郎主催の大喜利イベント「ダイナマイト関西」では、参加芸人中最多の5回の優勝を誇っています。また、2001年には「オールザッツ漫才」で優勝し、関西での知名度を一気に高めました。

「本気を出すことは30年前に捨てた」ケンコバの哲学

ケンコバさんは、デビュー当時に「本気を出したら誰も笑わない」と感じたことから、全力を出すことをやめました。手を抜いた方がウケると気づき、それ以来、アクセル全開のお笑いは封印しています。このスタンスが、独特の笑いを生み出し、芸人としての地位を確立する要因となりました。

「地獄寄席」での後輩芸人への思い

ケンコバさんは、2021年に「地獄寄席」というお笑いライブを主催しました。これは、地下で這いつくばっているがケンコバさんが「面白い」と思う芸人を、日の目に浴びさせたいというコンセプトのもと行われました。第2弾も開催され、後輩芸人への叱咤激励の場となっています。

若手時代の苦労と現在の成功

若手時代、ケンコバさんは「イジられ耐性」がない芸人との初対面で、舞台上での発言が原因で詰め寄られた経験があります。しかし、そうした経験を経て、現在では多くのバラエティ番組で活躍し、俳優としても映画やドラマに出演しています。また、長寿番組「にけつッ!!」では、千原ジュニアさんと共に司会を務めています。

まとめ:ケンドーコバヤシのデビュー秘話から学ぶこと

ケンドーコバヤシさんのデビュー秘話は、コンビ解散やピン芸人としての再出発など、多くの苦労と挑戦の連続でした。しかし、その中で自分のスタイルを確立し、現在の成功を手に入れました。「本気を出すことは30年前に捨てた」という哲学は、独自の笑いを生み出す原動力となっています。今後も、ケンコバさんのさらなる活躍に注目が集まります。

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