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女優を目指していたわけではなかった意外な出発点
山口智子さんといえば、1990年代のトレンディドラマを象徴する存在であり、その明るく華やかな笑顔は多くの人々を魅了してきました。現在でもCMやドラマでの活躍が続き、年齢を感じさせない美しさで注目されています。
しかし、実は彼女が最初から「女優」を目指していたわけではなかったというのはご存じでしょうか?山口智子さんは栃木県栃木市の老舗旅館の娘として生まれました。実家は格式ある旅館「鯉保」であり、将来はその女将を継ぐ道もあり得たはずでした。
ところが彼女は、自分の人生をもっと自由にデザインしたいという思いから、早稲田大学の建築学科に進学。学生時代にはモデル活動をしており、実はファッションやデザインの世界への憧れのほうが強かったのです。
東レキャンペーンガールが転機に!人生を変えたオーディション
山口智子さんの運命を大きく変えたのが、1986年に受けた「東レ水着キャンペーンガール」のオーディションです。なんと、この時の彼女は「自分を変えたい」「何か面白いことをしてみたい」という軽い気持ちで応募したそうです。
しかし、応募者の中でも際立っていたその透明感と抜群のスタイルにより、見事グランプリを獲得。一躍注目を集める存在になったのです。
この受賞がきっかけとなり、芸能事務所から声がかかり、CMや雑誌モデルとしての仕事が増加。そして、次に待っていたのが「女優」という全く別の世界への扉でした。
ドラマ初出演は意外なジャンル?「連ドラの主演」はすぐに決まらなかった
モデルとして活動をスタートさせた山口智子さんですが、すぐに女優業に転向したわけではありません。最初のドラマ出演は1988年のNHK朝の連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』。この作品で山口智子さんは、いきなりヒロインに大抜擢されるという、まさに“朝ドラシンデレラ”のようなデビューを果たします。
ところが意外にも、このドラマのオーディションでは一度落選しかけていたという裏話があります。もともと選考は別の候補者で進んでいたのですが、最終面接で見せた彼女の堂々とした笑顔と、自然体の受け答えが審査員の心を動かし、逆転合格を勝ち取ったのです。
この“逆転採用”はまさに彼女の運命を変える一歩となりました。
トレンディドラマ女王になるも、本人は苦悩も抱えていた
『純ちゃんの応援歌』での成功を皮切りに、『29歳のクリスマス』『ロングバケーション』など、次々に話題作へ出演し、山口智子さんは“トレンディドラマの女王”と呼ばれるようになります。
しかし、華やかな活躍の裏で、本人は意外にも「自分の演技に自信が持てない」と悩んでいたそうです。インタビューでは「私は演技の勉強をちゃんとしたわけではないから、現場で迷惑をかけていないか不安だった」と語っており、見た目の明るさとは裏腹に、繊細で真面目な性格が垣間見えます。
そんな彼女を支えたのが、共演者やスタッフの声。そして、「自分は女優である前に、一人の人間として何を伝えたいか」を常に考える姿勢でした。
「突然の芸能活動休止」にも驚きの理由があった
1996年の『ロングバケーション』の大ヒット後、山口智子さんは突如としてテレビドラマから姿を消します。その理由は、「自分の人生を見つめ直したい」「もっと世界を見てみたい」という思いからでした。
女優としての成功の最中に、仕事をセーブし海外を旅したり、アートや建築の勉強に没頭したりと、自分のルーツに立ち返る時間を大切にしたのです。
この行動は当時の芸能界では非常に珍しく、関係者やファンの間でも驚きをもって受け止められました。しかし、こうした“自分を見失わない選択”こそが、今の山口智子さんの自然体の魅力につながっているのかもしれません。
まとめ:山口智子さんのデビュー秘話には、運命と意思、そして柔らかさが詰まっていた
山口智子さんのデビューは、運命的な出会いや偶然に導かれたものでしたが、そこには彼女自身の強い意志と柔らかな感性がありました。女将候補から東レキャンペーンガールへ、そして“逆転合格”から女優へと駆け上がったストーリーは、まさに現代を生きる私たちへのヒントに満ちています。
型にはまらず、自分の可能性を信じて飛び出す勇気——それが山口智子さんの人生そのものであり、今もなお多くの人を惹きつける魅力の源なのです。