目次
ジャニーズ事務所入りのきっかけは「家族のひとこと」
現在は国際派俳優としても評価が高い本木雅弘さんですが、彼の芸能界入りのきっかけは、意外にも家族のひとことからだったといわれています。高校生の頃、本木さんは「自分を変えたい」という思いを持っていたものの、自らオーディションに応募するようなタイプではなかったそうです。
そんなとき、母親が冗談半分で「テレビに出てみたら?」と話したことが、本人の中で小さな種火となり、後にジャニーズ事務所へと履歴書を送る行動に繋がったといわれています。まさに運命の分岐点は、家族の軽い一言から始まったのです。
「シブがき隊」結成とデビュー、当初は目立たない存在だった?
本木雅弘さんは1981年にジャニーズ事務所に入所し、1982年に「シブがき隊」の一員として芸能界デビューを果たします。シブがき隊は「ヤンチャで破天荒なアイドルグループ」として人気を集め、本木さんは“モックン”の愛称で親しまれました。
しかし、デビュー当初はセンターでもなく、目立つ存在ではなかったとも言われています。個性が強いメンバーの中に埋もれてしまっていた時期もあり、芸能活動に悩んだ時期もあったそうです。「自分はこのままでいいのか?」という思いが彼の中に芽生えていきました。
そんな葛藤が、後の大胆な転身に繋がっていくのです。
解散後に訪れた“脱アイドル”の決断と俳優への道
1988年、シブがき隊が解散。本木雅弘さんにとっては**「アイドルから脱却する大きなチャンス」**でした。しかしその一方で、アイドル出身というイメージが強く、俳優として受け入れられるには大きな壁がありました。
驚くべきことに、本木さんはこの時期、意図的に髪を坊主にし、役作りのためなら何でもやるという覚悟を見せました。業界内でも「あのモックンがここまで変わるとは」と注目されたそうです。
そして1991年、映画『ファンシイダンス』での主演を皮切りに、その演技力が高く評価され始め、以後はドラマ・映画の両方で確実に存在感を高めていくことになります。
実は意外? 俳優としてのスタートは“仏門修行僧”だった
本木雅弘さんの俳優デビューの中でも象徴的なのが、映画『ファンシイダンス』での主演です。元はアイドルだった彼が、仏門に入る青年僧侶を演じるという設定は当時非常に意外性があり、話題になりました。
しかもこの役作りにあたって、本木さんは実際に寺で修行体験まで行っていたというのです。朝から座禅、掃除、食事の作法まで学び、役にリアリティを持たせる努力を惜しまなかった姿勢が、周囲の見方を大きく変えるきっかけとなりました。
この映画の成功を機に、彼は“脱アイドル”に成功し、真の俳優・本木雅弘が誕生した瞬間とも言えるのです。
国際映画祭でも評価される俳優に変貌を遂げた理由
それからの本木雅弘さんの俳優人生は、まさに挑戦と進化の連続です。映画『おくりびと』では主演として繊細かつ深みのある演技を披露し、作品はアカデミー賞外国語映画賞を受賞するという快挙を成し遂げました。
驚くべきは、このとき本木さんが単なる主演俳優ではなく、プロデューサーとしても作品に関与していたことです。もともとこの映画の構想は本木さん自身の中にあり、何年もかけて形にしていったという執念のプロジェクトだったのです。
このように、本木雅弘さんは単なる俳優にとどまらず、“表現者”として自ら作品の根幹から関わるスタイルへと進化していったのです。
まとめ:本木雅弘さんのデビュー秘話は、アイドルから世界的俳優への劇的転身の物語
本木雅弘さんのデビュー秘話は、まさに“意外”の連続です。家族の何気ないひとことから始まり、アイドルとして一時代を築いたものの、そこに甘んじず、自らの手で道を切り開いていった姿には多くの人が感動を覚えるでしょう。
アイドルから坊主頭の修行僧、そしてアカデミー賞受賞作の主演・プロデューサーへ――。その歩みには、決して表には出ない葛藤と努力が詰まっていました。
今後も本木雅弘さんがどんな作品で私たちを驚かせてくれるのか、期待せずにはいられません。