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音楽に目覚めたきっかけは「英語」と「洋楽」だった
桑田佳祐さんといえば、サザンオールスターズのボーカルとしても、ソロアーティストとしても日本の音楽シーンを長年けん引してきたレジェンド的存在です。ですが、そんな彼が音楽の道に進んだきっかけは意外にも「英語」でした。
学生時代、英語の響きや歌詞に強く惹かれた桑田さんは、洋楽を独学でコピーするようになります。当時はビートルズをはじめとするロックバンドの影響を大きく受けており、発音を真似しながら歌詞の意味を調べていく中で、音楽そのものの面白さにのめり込んでいったそうです。
高校卒業後は青山学院大学に進学。大学の音楽サークルに入り、後のサザンオールスターズのメンバーたちと出会います。この偶然の出会いが、日本の音楽史を塗り替える第一歩となったのです。
デビューのきっかけは学園祭?信じられないタイミングでの大発見
桑田佳祐さんたちが参加していた音楽サークル「BETTER DAYS」は、学園祭でのライブパフォーマンスを通じてじわじわと注目を集めていました。1970年代当時の大学バンドは、趣味の延長として活動しているものがほとんどで、プロを目指す人は少数派。しかし、桑田さんのパフォーマンスは学内外の注目を一気に集めるほどの完成度だったと言われています。
ある学園祭での演奏がレコード会社関係者の耳に入り、そこから一気に話が進みます。しかし、当初のレコード会社側の反応は「このバンドは面白いけど、ボーカルの歌い方が変すぎる」というものでした。実際、桑田さんの独特な日本語の発音と英語の混ざった歌唱法は当時としては前例のないもので、プロとして通用するかどうかすら疑問視されていたのです。
ところが、その「変さ」こそが後に最大の武器となり、サザンオールスターズは1978年に「勝手にシンドバッド」でメジャーデビューを果たすことになります。
デビュー曲「勝手にシンドバッド」は実はギリギリの産物だった?
サザンオールスターズの記念すべきデビュー曲「勝手にシンドバッド」は、今では日本ロック史に残る名曲として知られていますが、実は制作段階ではさまざまなトラブルが重なっていたと言われています。
まず、曲のタイトルは仮タイトルのままレコーディングが進んでしまったという裏話があります。本来はもっと別のタイトルにする予定だったものの、決定が遅れて仮のまま印刷物が作成されてしまい、そのまま正式なタイトルとして採用されたのです。
さらに、レコーディング当日は体調不良で桑田さんの声が出にくく、納得のいくテイクを録るのに苦労したという証言もあります。まさに、ギリギリの中で生まれた奇跡のデビュー曲だったのです。
実はデビュー直後に解散の危機も!?葛藤と迷いの時代
デビュー後、「勝手にシンドバッド」はテレビやラジオで流れまくり、一気にサザンオールスターズの名が全国に知れ渡ります。しかしその裏では、桑田佳祐さんは**“売れること”への戸惑いと違和感**を感じていたと語っています。
元々、純粋に音楽が好きで活動していた彼にとって、商業的な成功やメディアへの露出は本来の音楽観とズレがあり、次第にストレスが溜まっていったそうです。
また、当時はメンバー間でも音楽的な方向性を巡る意見の違いがあり、一時は本気で解散を検討した時期もあったと後に語られています。この葛藤の時期を乗り越えることで、サザンの音楽はさらに深みを増し、より広い世代に受け入れられるようになっていったのです。
桑田佳祐さんのデビュー秘話から感じる、常識にとらわれない発想と情熱
桑田佳祐さんのデビュー秘話には、どこか普通とは違う空気が漂っています。それは彼が「常識にとらわれない発想」を持ち、「音楽を楽しむ心」を何より大切にしていたからかもしれません。
デビュー当初の評価は賛否両論で、むしろ否の方が多かったとも言われています。それでも彼は、自分のスタイルを曲げずに貫き通し、やがて世の中が彼の感性に追いついたともいえるでしょう。
誰もが成功するとは限らない音楽の世界で、桑田佳祐さんは**“らしさ”を貫くことで唯一無二の存在**となりました。そして今なお、第一線で活躍を続けるその姿から、彼のデビュー時の情熱が変わらず続いていることが感じられます。
まとめ:桑田佳祐さんのデビュー秘話は、音楽への愛と偶然が生んだ奇跡の物語
桑田佳祐さんのデビュー秘話は、運や偶然だけでなく、音楽への深い愛と個性への信念が重なって生まれたものです。英語と洋楽に惹かれ、学園祭での演奏が偶然の発見につながり、周囲の疑問を覆すような才能を発揮した彼の姿は、多くの人に勇気と感動を与えます。
音楽を心から楽しむ姿勢と、型にはまらない自由な表現は、今もなお多くのファンを魅了し続けているのです。桑田佳祐さんのデビュー秘話は、まさに“奇跡と情熱”が詰まった物語と言えるでしょう。