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地元・岡山では目立たない学生だった?意外すぎる学生時代
稲葉浩志さんといえば、国民的ロックユニットB’zのボーカリストとして、日本の音楽シーンをけん引し続ける存在です。圧倒的な歌唱力とスタイルの良さ、知性あふれる言動などからカリスマ的な存在となっていますが、実は学生時代の稲葉さんはとてもおとなしく、目立たない存在だったというから驚きです。
岡山県津山市で育ち、地元の公立高校に通っていた稲葉さんは、勉強熱心で成績も優秀。特に英語が得意だったことから、当初は英語教師になることが夢だったそうです。ギターを始めたのは高校生の頃で、当時は歌うよりもバンドでギターを担当していたというのも意外なエピソードです。
彼が人前で歌うようになったのは、大学入学後。東京に出てから参加したサークルやバンド活動を通じて、その唯一無二の声が仲間たちの注目を集め始めたのです。
音楽よりも教員志望だった?意外な進路と転機
稲葉浩志さんは上京後、横浜国立大学教育学部に進学し、真剣に教職を目指していました。しかし、大学時代にアルバイトとしてスタジオの仮歌(デモテープ用のボーカル)を担当したことが、彼の運命を大きく変えるきっかけになります。
この仮歌の仕事は、歌声のうまさだけでなく、楽曲に魂を込められる表現力が求められる高度な仕事。その中で、稲葉さんの歌声はレコード会社の関係者の耳に留まり、プロの世界への扉が開かれることになります。
この時点でも、本人は「音楽で食べていけるとは思っていなかった」と語っており、まさに偶然と才能が引き寄せたチャンスだったのです。
松本孝弘さんとの出会いが生んだ“奇跡の化学反応”
そして稲葉浩志さんの人生を大きく変えるのが、B’zのギタリストである松本孝弘さんとの出会いです。当時すでにプロのギタリストとして活動していた松本さんが、ボーカルを探していたタイミングで、稲葉さんの仮歌音源が彼の元に届きます。
その声を聴いた松本さんは、「この人しかいない」と直感的に感じ、すぐにオーディションをセッティング。実はそのオーディションの場で、稲葉さんは極度の緊張から声が出なかったと言われています。しかし松本さんは、「歌えなくても構わない。彼の声が必要だ」と確信しており、それほどに稲葉さんの声には人を惹きつける力があったのです。
こうして、B’zという最強のユニットが誕生したのです。
デビュー当時は無名で苦労も多かった?地道なスタートからの快進撃
B’zは1988年にデビューしますが、最初から爆発的に売れたわけではありません。デビュー曲「だからその手を離して」もチャートインは果たすものの、大ヒットとはいえない結果でした。
しかし稲葉さんと松本さんは、自分たちの音楽性を貫きながら、ライブ活動やメディア露出を続けていきます。実はこの頃、稲葉さんは大学の単位が足りず、卒業できていなかったというエピソードもあり、音楽と学業の両立に苦労していた時期でもあります。
そんな中、3rdシングル「LADY-GO-ROUND」から徐々に注目が集まり始め、そして4thシングル「BE THERE」のヒットで一気にブレイク。以降のB’zは説明不要のトップアーティストとして、日本の音楽史にその名を刻む存在となっていきます。
意外すぎる?稲葉浩志さんの“デビュー前夜”に関する都市伝説
稲葉さんのデビューにまつわる裏話の中には、ファンの間で語り継がれるちょっとした都市伝説も存在します。その中の一つが、「松本さんが稲葉さんと出会う前に、別のボーカルを内定していた」というものです。
一説では、松本さんは当初、複数の候補をオーディションしており、稲葉さんの登場があと数日遅れていたら、B’zは別のボーカルだった可能性もあるといわれています。
また、稲葉さん自身が「芸能界が怖かった」「自分には向いていないと思った」と当初は乗り気でなかったとも語っており、あと一歩踏み出せなかったら、今のB’zは存在しなかったかもしれません。
まとめ:稲葉浩志さんのデビュー秘話は、偶然と努力と信念が生んだ奇跡の物語
稲葉浩志さんのデビューは、決して順風満帆ではなく、むしろ偶然の出会いと内に秘めた情熱が引き寄せた奇跡のようなものでした。教職を目指していた青年が、仮歌のアルバイトを通じて運命を変え、日本の音楽界に革命を起こす存在となった――。
このデビュー秘話は、稲葉さんの魅力をより深く知る上で欠かせないエピソードと言えるでしょう。そしてこれからも、彼の音楽が多くの人に勇気と感動を与え続けていくことは間違いありません。