黒木瞳さんのデビュー秘話が意外すぎる!宝塚から始まる異色の女優人生と驚きの転機とは?

女性芸能人

地元・福岡から一転、宝塚の世界へ飛び込んだ理由

黒木瞳さんは、現在では日本を代表するベテラン女優として多くの映画やドラマで活躍されていますが、その原点は華やかな宝塚歌劇団にあります。福岡県出身の黒木さんは、地元の高校を卒業後、地元企業に就職を考えていたという意外なエピソードがあります。

しかし、そんな中で彼女の進路を大きく変える出来事が起こります。実は高校時代の担任の教師が「君は宝塚に向いている」と勧めてきたことがきっかけだったのです。当時、宝塚のことをほとんど知らなかった黒木さんでしたが、「試しに受けてみよう」という軽い気持ちで宝塚音楽学校を受験。すると、見事に合格し、女優としての運命が大きく動き出したのです。

宝塚では異例のスピード出世を果たした実力と魅力

黒木瞳さんは1981年に宝塚歌劇団に入団しました。当初は娘役として活動を始めましたが、その美貌と透明感のある演技力はすぐに注目され、なんと入団からわずか2年で月組のトップ娘役に大抜擢されるという異例の出世を遂げました。

しかも相手役には、当時のトップスター・大地真央さんがいたことで“伝説のコンビ”として一世を風靡しました。舞台『情熱のバルセロナ』『風と共に去りぬ』などで大ヒットを飛ばし、観客の心を掴んだ黒木さんですが、宝塚時代から彼女の姿勢はどこか異質だったとも言われています。

実は黒木さん、自分を「宝塚っぽくない」と感じていたそうです。自らの性格は、どちらかというと控えめで、宝塚の華やかな世界に馴染むには時間がかかったとも語っています。まさに“異端のエース”という存在だったのです。

退団のきっかけはまさかの「体調不良」と「夢の違い」

トップ娘役として絶頂期にいた黒木さんが、宝塚を退団したのは1985年。わずか4年という短い在団期間は、当時としては非常に異例でした。実はこの退団の裏にも、驚きの理由がありました。

ひとつは、舞台での連日の稽古と公演で体調を崩しがちだったこと。そしてもうひとつは、「自分の本当にやりたいことはもっと違うところにあるのではないか」と思い始めたことだったそうです。

退団後、すぐに映画『化身』(1986年)で女優として本格的に活動を開始。この作品で大胆な役柄に挑戦し、世間に衝撃を与えました。清楚で品のある宝塚時代のイメージから一転、妖艶で強い女性を演じたことで「黒木瞳、第二章」が始まったのです。

実は音痴だった?デビュー当初の歌唱にまつわる噂とは

宝塚歌劇団の娘役として活躍していた黒木瞳さんですが、実は意外なことに「歌唱力には自信がなかった」とご本人が語っています。宝塚といえば美しい歌声が求められる世界。そんな中、黒木さんは自身の歌にコンプレックスを感じていたそうです。

それでも舞台の中で歌い続け、声の出し方や呼吸法を徹底的に練習した結果、自分らしい表現方法を確立していきました。また、退団後の女優業では「セリフで勝負できる」ことにやりがいを感じ、芝居により深くのめり込んでいったといいます。

このエピソードからもわかるように、黒木瞳さんは“才能だけでなく努力と意志でチャンスをものにしてきた人”なのです。

スカウトされたのは実は「CM出演」の予定だった?

黒木瞳さんが宝塚を退団後すぐに女優として注目された理由には、もう一つ意外な裏話があります。実は彼女の退団直後、当時の大手飲料メーカーが「新しいイメージキャラクターを探している」とのことでスカウトの声がかかったのです。

当初はCM出演のみの予定でしたが、その撮影時の立ち居振る舞いや雰囲気が関係者の目に留まり、「この人なら映画でもいける」と即座に映画のキャスティングが進んだと言われています。

つまり、女優としての本格デビューは、偶然のスカウトとCM出演がきっかけだったのです。これは多くのファンが知らない“黒木瞳のもう一つのデビュー秘話”とも言えるでしょう。


まとめ:黒木瞳さんのデビュー秘話には、意外な決断と運命の出会いが詰まっていた

宝塚という煌びやかな舞台で輝きながらも、自分の道を模索し続けた黒木瞳さん。異例のスピード出世と早期退団、そして意外な形での女優デビューには、多くの驚きと感動が詰まっています。

舞台でも映像作品でも、常に上品さと知性を感じさせる黒木さん。その陰には、自らの可能性を信じ抜いた強さと、ひたむきな努力がありました。これからも彼女の活躍に目が離せません。

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