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芸能界を目指すきっかけとなった父の存在
菊池風磨さんが芸能界を志すようになった背景には、家庭環境が大きく影響しています。実は彼の父親は、嵐の「A・RA・SHI」などを手掛けた作詞作曲家の菊池常利さん。音楽一家に生まれたこともあり、幼少期から自然と音楽に親しみ、自らも表現する側への憧れを強く抱くようになっていったといいます。
そんな中、彼が特に意識するようになったのは嵐の櫻井翔さんの存在でした。インタビューでも度々「尊敬する先輩」と語っており、学業と芸能活動の両立を目指す姿勢にも強い影響を受けたと語っています。「自分もこんな風になりたい」という想いが、ジャニーズ事務所に履歴書を送る行動へと繋がったのです。
ジャニーズ事務所のオーディションを突破
菊池風磨さんは2008年、中学2年生のときにジャニーズ事務所に自ら応募し、オーディションを経て見事合格します。当時から端正な顔立ちと落ち着いた雰囲気が注目を集め、ジャニーズJr.の中でも早くから期待の若手として頭角を現していきました。
オーディション当時はまだ素朴な印象の少年でしたが、ステージに立ったときの堂々とした立ち振る舞いや、優れたリズム感は既に光るものがあったといわれています。ジャニー喜多川さんからも「表情に色気がある」と高評価を受けていたと伝えられており、その後の活躍を予感させる逸材だったことは間違いありません。
Sexy Zone結成とセンター抜擢の舞台裏
2011年、菊池風磨さんの運命を大きく変える出来事が起こります。それが、ジャニーズの新グループ「Sexy Zone」の結成です。中島健人さんや佐藤勝利さんらとともに、結成メンバーのひとりとしてデビューすることが決まったのです。
デビュー当時、菊池さんは高校2年生。ほかのメンバーに比べると年齢は少し上でしたが、グループを引っ張る兄貴分としての存在感が期待されていました。結成時の裏話として、「Sexy Zone」の名前の由来や、当初のメンバー選考過程がかなり秘密主義だったこともあり、事務所内でもサプライズだったと言われています。
また、菊池さんがセンターでマイクを握ることに異論はなく、すでにJr.時代からステージ経験も豊富で、安定したパフォーマンスが評価されていたためだとされています。
菊池風磨さんの努力と学業の両立
意外と知られていないのが、菊池風磨さんの学業への真摯な姿勢です。多忙な芸能活動の合間を縫って、慶應義塾大学へ進学した彼は、まさに「文武両道」を体現した存在といえます。
大学生活と芸能活動の両立は容易ではなく、レポートや試験準備のために夜遅くまで勉強することも日常だったそうです。そんな生活の中でも、テレビ番組や舞台、グループでの活動を一切疎かにせず、真面目に取り組む姿はスタッフやファンの間でも高く評価されていました。
また、大学時代に学んだコミュニケーション論やメディア論などの知識は、後のMC業やバラエティ番組でのトークに活かされており、現在の多才な活躍の基盤になっているとも言われています。
バラエティでのブレイクと現在の地位
デビュー当時は“王子様キャラ”だった菊池風磨さんですが、近年はそのイメージを良い意味で壊し、バラエティ番組での活躍が大きな話題となっています。特に『芸能人が本気で考えた!ドッキリGP』や『ニノさん』などで見せる天然でお茶目な一面は、多くの視聴者に親しまれています。
“いじられキャラ”としてのポジションを確立したことで、従来のクールなイメージに加え、親しみやすさやユーモアも加わり、幅広い層のファンを獲得することに成功しました。
また、近年ではドラマや映画での主演も増え、シリアスな演技からコミカルな役柄まで幅広くこなす実力派俳優としても評価されています。音楽活動、俳優業、バラエティと、まさに“トリプルスレット”と呼ぶにふさわしい活躍ぶりです。
まとめ:努力と才能、そして人間味にあふれた菊池風磨さんのデビュー秘話
菊池風磨さんのデビュー秘話には、才能だけでなく、地道な努力と強い信念がありました。父の影響、尊敬する先輩の存在、そして自ら選んだ道を突き進む決意。それらが重なって、現在の彼の魅力ある姿が形作られているのです。
今後のさらなる活躍が楽しみな菊池風磨さん。これからも多方面でファンを楽しませてくれることでしょう。