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俳優一家に生まれるも「本気ではなかった」意外なスタート
柄本佑さんといえば、独特の存在感と確かな演技力で映画・ドラマに欠かせない俳優として知られています。父は柄本明さん、母は角替和枝さんという芸能一家に生まれたことでも有名ですが、実は佑さん自身、「最初から俳優になる気はなかった」と語っています。
子どもの頃から父の芝居を見て育ちましたが、幼心に「自分はやらない」と思っていたそうです。にもかかわらず高校時代、思いがけず映画『美しい夏キリシマ』の主演に抜擢されることになります。しかしこのオファー、実は一度“断ろうとしていた”という驚きのエピソードがあるのです。
デビュー作を断る寸前!?理由は“あまりに突然だったから”
柄本佑さんが俳優として初めて注目を集めたのは、2003年公開の映画『美しい夏キリシマ』での主演です。オーディションではなく、脚本家の意向による“指名”に近い形での出演決定でした。
しかし、本人は当時高校生。芸能活動の意識も薄く、突然の主演オファーに戸惑い、なんと「断ろうと思っていた」と明かしています。決め手となったのは、母・角替和枝さんのひと言。「あなたにしかできないかもしれない役だよ」という言葉に背中を押され、出演を決意したといいます。
まさかの“俳優になるつもりがなかった少年”が、いきなり主演で映画デビューするとは、まさに意外なデビュー秘話と言えるでしょう。
実は“芸術大学では映画監督志望”だった過去
さらに驚きなのは、柄本佑さんが大学では俳優ではなく“映画監督”を志していたということです。彼は早稲田大学芸術学校で映画制作を学び、当時の夢は「自分で脚本を書いて、自分で撮る」ことだったと語っています。
学生時代には8mmフィルムで自主制作映画も撮影し、映像編集にも関心を持っていたそうです。その延長線上で俳優の仕事も「自分の映画を理解するための手段」として捉えていたとのこと。
このように、ただ俳優として与えられた役を演じるのではなく、「物語の構造全体」を理解しながら演じていたことが、彼の演技の深みにつながっているのかもしれません。
柄本家で交わされた“家族会議”とは?父・明の反応が意外すぎた
柄本佑さんのデビューを語るうえで欠かせないのが、俳優一家としての“家庭の空気”です。父・柄本明さんも、母・角替和枝さんも俳優という環境でしたが、実は家族で演技について語ることはほとんどなかったそうです。
ところが、佑さんが本格的に俳優を志すことになったときには、めずらしく家族で“演技論”のような話を交わしたというエピソードがあります。驚くべきは、父・柄本明さんの言葉。「うまくやろうとするな。下手でもいいから、ちゃんと自分で立っていろ」という、まるで詩のような助言でした。
この一言は、佑さんにとって今でも“演技の根っこ”となっていると語っています。家族であっても、俳優としては一人一人が独立した存在であることを象徴するようなエピソードです。
デビュー翌年には早くも映画賞受賞!父と並ぶ日を夢見て
映画『美しい夏キリシマ』での主演は、当時高校生だった柄本佑さんにとって大きな転機となりました。この作品で彼は2003年度の日本映画批評家大賞で新人賞を受賞し、業界内で一躍注目を集める存在となったのです。
そして彼の俳優としての本気が芽生えたのもこの時期。実は撮影中、現場でさまざまな演出家から「君の演技は面白い」と言われたことで、初めて「自分にも何か表現できるかもしれない」と思うようになったのだとか。
現在では父・明さんと共演する機会も増え、“親子共演”として話題を呼ぶことも多くなりました。演技スタイルは異なるものの、芯にある「真剣さ」や「飾らない魅力」は、まさに親子の共通点といえるでしょう。
まとめ:柄本佑さんのデビュー秘話は、偶然から始まり必然となった人生の物語
柄本佑さんのデビュー秘話は、俳優一家に生まれながらも「自分は関係ない」と思っていた少年が、ふとしたきっかけで俳優の道を歩み出し、気づけばその道の先頭を走る存在となったという、不思議で感動的な物語です。
主演映画を断ろうとした迷い、映画監督を夢見た青春時代、そして家族との静かな会話――これらすべてが、彼の演技に厚みを与えているのです。演じることでしか表現できない“静かな情熱”を、これからも私たちはスクリーンで感じ取っていくことになるでしょう。