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幼少期から表現に夢中だった少女時代
友近さんは愛媛県出身。子どもの頃から人前で何かを演じることが好きで、家族や友人を笑わせるのが日課でした。テレビやラジオをまねるのも得意で、自然と「芸能の世界」に憧れを抱くようになります。学校でも積極的に演劇や司会に取り組むなど、表現者としての基盤はこの時期にすでに築かれていました。将来は舞台やテレビで活躍する自分を夢見ていたそうです。
短大で演劇と舞台表現を学ぶ
高校卒業後、友近さんは地元の短期大学に進学し、演劇や舞台表現を専攻します。授業では発声や演技の基礎を学び、地元の舞台にも出演していました。この頃から「ただの女優」ではなく、笑いや個性を武器にした表現者としての道を模索し始めます。演劇の中でも、日常をリアルに切り取るような演技に魅力を感じ、自身の芸風の基礎を固めていきました。
テレビ局での勤務経験が転機に
短大卒業後はテレビ愛媛に勤務し、レポーターやADとして働きます。ここでの経験は、現場の空気やテレビの仕組みを学ぶ貴重な期間となりました。裏方として番組づくりを支える中で、「やっぱり自分も表舞台で表現したい」という思いが再燃。一般企業の安定を捨てて、芸人になる決意を固めたのはこの時期です。
NSCに入学しお笑いの道へ
本格的に芸人を目指すため、大阪のNSCに入学した友近さん。養成所では周囲と比べて年齢が少し上だったこともあり、強い覚悟で日々ネタ作りに励んでいました。特徴的だったのは、ネタの中に演技力と細かい人物描写を取り入れるスタイル。他の若手とは一線を画す存在感で、在学中から講師の間でも話題になっていました。
一人コントで注目を集めたデビュー期
友近さんのブレイクのきっかけは、一人で複数のキャラクターを演じ分ける「一人コント」でした。架空の人物や、どこかにいそうな“おばちゃん”などをリアルに演じる芸風が話題を呼びます。ネタには必ず物語性があり、視聴者の共感や笑いを引き出す巧みな演技力が高く評価されました。これにより、バラエティ番組への出演も徐々に増えていきます。
水谷千重子などキャラの幅が芸の武器に
「水谷千重子」や「西尾一男」など、友近さんは数々のキャラクターを生み出してきました。中でも水谷千重子は、演歌歌手という設定で歌まで披露し、その完成度の高さが大きな話題に。ライブツアーまで行われるほどの人気キャラとなり、「芸人」ではなく「アーティスト」としての評価も確立します。キャラ作りの緻密さは、友近さんならではの才能です。
歌・芝居・司会…マルチな才能で躍進
友近さんは芸人でありながら、歌手や女優としても活躍しています。特に歌においては、その歌唱力の高さが評価され、演歌番組やコンサートにも出演する機会が増えました。また、ドラマや映画では自然体の演技が光り、演技派女優としての地位も築いています。司会業でも安定したトーク力を発揮し、オールラウンダーとしての強みが際立っています。
まとめ:友近のデビュー秘話は努力と観察力が生んだ成功物語
友近さんのデビュー秘話は、演技力と観察眼を活かして独自の芸風を確立した、努力の積み重ねとも言えるストーリーです。OLから芸人へ、そしてマルチなタレントへと成長した背景には、自分の「やりたいこと」を諦めなかった芯の強さがあります。変わらぬ情熱と実力で、今後も唯一無二の表現者として多方面で活躍していくことでしょう。