【とにかく明るい安村 デビュー秘話が面白すぎる!裸芸でブレイクするまでの驚きの下積みとは】

男性芸能人

北海道出身の少年時代に芽生えた笑いの才能

とにかく明るい安村さんは、北海道旭川市の出身です。少年時代から友達の前でふざけたり、笑わせたりするのが大好きな少年で、学校では常に“クラスのお調子者”という存在だったそうです。特にお笑い番組が好きで、「ダウンタウン」や「とんねるず」などの人気芸人に憧れて育ちました。周囲を笑顔にすることに喜びを感じ、「将来はテレビに出る人になりたい」という夢を持ち始めます。


高校時代にコンビ結成!早くも漫才の舞台へ

高校では、同級生とお笑いコンビを結成。文化祭や地域イベントで漫才を披露し、地元ではちょっとした有名人に。高校卒業後もこの夢を諦めることはなく、吉本の養成所である東京NSCに進学。ここで、後の相方・橋本まさをさんと出会い、お笑いコンビ「アームストロング」を結成します。実はこの時点ではまだ“裸芸”の片鱗は一切なく、正統派の漫才師として活動していました。


アームストロング時代の挫折と解散

「アームストロング」としての活動は順調なようでいて、実は厳しいものでした。テレビや劇場での露出はあるものの、なかなか大きなブレイクにはつながらず、周囲の同期が次々と売れていくなか、焦燥感に苛まれる日々が続きます。そして2013年、結成から10年以上を経てコンビは解散。安村さんは一時芸人をやめようか悩んだこともあったといいますが、「まだ一人でも笑わせたい」という思いが強く、ピン芸人として再出発を決意します。


“安心してください、はいてますよ。”の誕生

ピン芸人としてのスタートは手探りでした。そんな中、ひらめいたのが“裸芸”。「パンツ一丁でポーズをとって、安心させる」という奇抜な発想で、「安心してください、はいてますよ。」というフレーズが誕生します。この芸が、ライブや営業でじわじわウケ始め、次第にお客さんの笑いを確実に取れるようになっていきます。奇をてらったアイデアながらも、“清潔感”と“明るさ”があったため、子どもから大人まで広く受け入れられました。


2015年のテレビ出演で一気にブレイク!

このフレーズと芸風が全国区になったのは、2015年のテレビ出演がきっかけです。バラエティ番組でのインパクトの強い登場により、瞬く間に話題となり、「とにかく明るい安村」という芸名も全国に知られるようになりました。“裸なのに不快感がない”“とにかく明るいキャラクターが面白い”と話題になり、CMや雑誌、イベントなどにも引っ張りだこに。長い下積みを経て、ようやく芸人としての“花”を咲かせる瞬間でした。


一発屋と呼ばれても諦めなかった姿勢

ブレイク後、「一発屋」として扱われることもありましたが、安村さんは腐ることなく努力を続けました。芸の幅を広げるためにコントにも挑戦し、トーク力を磨くことでバラエティ番組への対応力も高まりました。一時期はテレビ露出が減少した時期もありましたが、それでも地方営業やライブでは根強い人気を保ち続け、芸人としての“生き残り方”を模索しながら着実にステップを踏み続けたのです。


海外でも話題に!「Britain’s Got Talent」での再ブレイク

2023年にはイギリスの人気番組「Britain’s Got Talent」に出演し、その芸風が国境を超えて大爆笑を巻き起こしました。英語が得意ではない中でも、ボディランゲージと明るいキャラクターで会場を笑いに包み、世界中から注目を浴びました。SNSでも拡散され、再び安村さんの名前がトレンド入り。日本だけでなく、海外からも愛されるコメディアンとしての地位を確立しました。


現在も進化を続ける“とにかく明るい”精神

現在も安村さんは、自身のネタを磨きつつ、新たな企画にも積極的に挑戦しています。舞台・YouTube・テレビと様々なメディアで活躍しながら、常に“笑いの可能性”を広げている姿勢は、多くの後輩芸人からも尊敬を集めています。“安心してください”だけにとどまらず、自分のキャラクターをどう使いこなすかという戦略的な視点もあり、芸人としての成熟度を増している今、次なるブレイクも期待されています。


まとめ:とにかく明るい安村のデビュー秘話は努力とひらめきの結晶

「とにかく明るい安村」という芸名の裏には、実は多くの挫折と試行錯誤が詰まっています。コンビ解散という苦境を乗り越え、裸芸というユニークな表現で再ブレイク。さらに海外でも認められるという快挙を達成したその歩みは、まさに芸人魂の結晶です。今後も“とにかく明るく”、私たちに笑顔と元気を届けてくれることでしょう。

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